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渓斎英泉のお墓へ

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うすぼんやりと過ごしている間に季節は移ろい、花の色は褪せてしまった……なんてね。 仕事と公募原稿に追われて気づいたら2ヶ月も更新していませんでした(;´Д`) 今日は小雨が降って蒸し暑い中、高円寺へ。 目的地は祥雲山福寿院(東京都杉並区高円寺南2-40-5)という曹洞宗のお寺。 『紙屑絵師』で描いた渓斎英泉のお墓があります。 色々なブログを見ていただくとわかりますが、異口同音に「わかりにくい」と(笑) 所謂寺町のような一画があって探しにくいのです。 「杉並区立杉並第八小学校」の隣にありますので、小学校を目指していくとよいと思われます。 本堂の裏手……トンネルみたいな通路を潜ると墓地になっていて、その左手に英泉のお墓がありました。 三基並んでおります。読んでみました。 わたしは墓石は全然詳しくないので、頓珍漢なことを述べていたら教えていただけるとうれしいです。 右 光圓繫珠信女 寛政八丙午年七月□五日 (□は十か?) 天坤院覺登玄道居士 文化七庚午年五月十日           池田政兵衛茂晴 裁繍妙錦大姉 文化七庚午年十月廿四日   中  天□(明?)三癸□(卯?)年九月二十日 貞香院□□了□居士 行年六十一  池田代□□(傷が走っていて読めない) 先祖代々之墓 寛政元己酉年□□月十六日 光雲院偏□明臺大姉 行年六十四(?) 左 嘉永元戊辰年七月廿二日 渓齋池田英泉之墓 渓淋妙聲大姉 文久三癸亥年四月十九日 全体的に江戸時代の墓石とすれば新しいように思いました。 右の石に刻まれている光圓繫珠の没年が寛政八年。英泉の生まれは寛政三年。彼の実母は英泉が六歳のときに亡くなっているというから、光圓繫珠信女という人が英泉の実母に比定できそうです(数え年です)。 真ん中の天坤院覺登玄道居士は英泉の父、池田政兵衛茂晴。 左の裁繍妙錦大姉が継母ということでよさそうです。父と継母が相次いで亡くなるという話どおりですね。 英泉が数え20歳のとき、1810年すなわち文化七年。齟齬はなさそうです。 真ん中の石。先祖代々といいながら、両脇に名前が彫り込まれています。摩耗していて肉眼では読めなかったのですが、三基のなかではもっとも石が古いように思いました。行年まで記しています。削って新しく彫るということを墓石ではするのでしょうか。 さて、天□三癸□をみたす、天がつく元号は江戸時代に天和(てんな