紙屑絵師(掌編)


新型コロナウィルスの特別なんとか期間が伸びてしまいましたね。ですので、こちらも作品替え。『軛』をひっこめて、『紙屑絵師』を掲載いたします。TANPENSの3月号に掲載した作品です。時代物になります。テーマは「哲学」。絵師の哲学、花魁の哲学、遊女屋の哲学……いかがでしょうm(_ _)m
感想などお寄せいただけますと幸いです。
掲載した浮世絵は本当に渓斎英泉が描いたベロ藍(ベルリン藍)を使った花紫の立ち姿です(*^^*)凄みがあります。

紙屑絵師



新吉原江戸町《しんよしわらえどちょう》一丁目。大見世玉屋内、呼び出し昼三《ちゅうさん》の花魁花紫《おいらんはなむらさき》の座敷。
琴が立てかけられ、香がくゆらされてあえかで艶な空間である。
そこに響くは花紫の悲鳴。

「何だえ、この藍一色《あいひといろ》の絵は。わっちがなんでまっつぁおなんだい。先生、説明しとくんなまし」

柳眉を逆立てて息巻く花魁の怒りを春のそよ風と受け流し、先生こと絵師渓斎英泉《けいさいえいせん》は駘蕩と盃を口に含んでいる。

「気にいらねえかい」

「……好きいせん」

ぷいと玉虫色の唇を歪めると花紫は刷り上がったばかりの浮世絵を破り捨てようとした。

「ちょいと待ちな」

英泉の指がすっと伸びてきて絵を取り上げた。

「最近の絵は派手になりすぎてよ、どうにも野暮がすぎらあ。で俺が目をつけたのが、ベロ藍《あい》よ」

英泉の指がとんとんと紙の端を叩く。

「そのベロ藍っていうのはなんでありんしょう」

「阿蘭陀《オランダ》から伝わってきた絵の具だよ」

「阿蘭陀」

花紫は道中に使う俎板帯《まないたおび》にまで紅毛人《こうもうじん》を織りだすほどの新しもの好き。阿蘭陀という言葉に惹きつけられた。
それによ、と英泉の指が今度は花紫の細い顎《おとがい》に伸びた。

「けばけばしい色はおめえの佳さを沈めちまうんだ。俺ぁおめえが描きてえ。玉屋花紫ってえ当世随一の花魁の気骨《きこつ》を」

花紫は満更でもなかったが、簡単に丸め込まれるのも業腹《ごうはら》である。

「この藪睨《やぶにら》みみたいな目はいったいなんでありんす。わっちの目はこんなじゃありいせん」

声に艶が乗る。濡れ濡れとした瞳が英泉をみつめる。

「目か。こう描くと、おめえの意気地《いきじ》と情がより際立つんだよ」

指先が花紫の目の下を撫でる。

「なんて言いんしたか、この藍の色」

「ベロ藍」

べ、ろ、とゆっくりと発音しながら花紫が小さく舌を出す。ふっと英泉の切れ長の目元が緩む。花紫の玉虫色の唇に英泉が顔を近づけた。

「ごめんくださいよ。花魁、そろそろお約束の支度をしないと」

いかにもわざとらしい大声と咳《しわぶ》きがした。

ちっと笑いながら英泉が声の方をみるといつ来たのか楼主玉屋山三郎《たまやさんざぶろう》が不機嫌を隠しもせずに座っていた。

「おう、玉屋の。約束の絵、試し刷りを持ってきたぜ」

英泉は誰に対してもへりくだらない。金主《きんしゅ》の玉屋にもざっかけない口ぶりで話す。この紙屑絵師が、と玉屋は内心毒づいた。

「どれ、見せていただきますよ」

畳の上に拡げられた藍色の絵姿は、玉屋の目にはひどく地味でつまらないものに見えた。花魁の絵姿はやはり色鮮やかな美々しい衣装があってこそだ。

「どうで、この藍が花紫の凄みをよく出してるだろう」

玉屋は首を振った。

「こいつは地味すぎる。玄人受けはするかしらねえが、田舎モンにゃあわかりません。見世になんとか上がりてえ、身上潰してもこの女と会ってみてえ、と思わせるような絵じゃなきゃあダメでさあ」

英泉がすっと玉屋をみた。その目の色の冷たさに玉屋は震え上がった。

「いや、まあ。色摺りと藍摺り二種類用意しますか。お客様も喜ばれるでしょう」

「ふふん、そうかい」

英泉は笑った。

「俺ぁこれで帰《けえ》るぜ。この摺りは持ってく。二、三日待ってくれ。色摺りを届けさせる」

花紫が何か言いたげな顔をしたが、英泉はとんとんと妓楼の階段を降りて、さっさと外へ出てしまった。

「なんでえなんでえ。これからはベロ藍だ。この藍で水の冷たさから空の青さ、女の肌の白さまで描けるっつうのによぉ」

大門を抜けて振り仰いだ冬の空は深く青かった。

「どうあったって俺はベロ藍を使うんだよ。そうだ北斎先生に見てもらおう」

英泉は吉原土手を勢いよく駆け出した。  了

コメント

  1. 凄みのある掌編ですね。

    花魁の矜持と絵師の哲学が花火を散らしています。

    何より文章そのものが美しい。

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    1. ありがとうございます。もともとが千字というお題でしたので、これ以上できないくらいに文章を切り詰めました。自分の文体を確立したいところです。

      削除
    2. 返信ありがとうございますm(__)m。

      自分自身の文体ーーそれは全ての書き手にとって絶えず求めるところですね……。


      お互いがんばりましょうね。

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    3. 全くです。いつになったら満足のいく文体で文章が書けるのか、道は遠いですね。
      頑張りましょう。。。

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