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文豪ゆかりの地で酷似先生と

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3月25日(水)、エブリスタのクリエ仲間、酷似さんが本郷にいるというのでランチをしました。 酷似さんは前日、本郷にある老舗旅館鳳鳴館の「文豪缶詰プラン」なるプランで缶詰生活を満喫していらっしゃいました(笑)。宿泊の様子は こちら を。 10時にいくというので余裕で電車に乗ったのに、根津に着いてから道に迷って遅刻する……という失態をしでかし、お待たせしてしまった。 ランチには間があるので、まずはわたしたちの母校(嘘)、東大へ。 銀杏並木が迎えてくれます。 赤門から伸びる銀杏並木 並木を抜けたところにある通路です。学生さんたちが春休みでも来てます。 三四郎池。結構起伏があるのでヒールだと厳しいです。  その後ランチ(*^^*) 本郷のどこか(お店の名前をみてくるのを忘れました) 鰤のピカタ。サラダ。スープ。パン。それにコーヒーがつきます。 鳳鳴館台町別館と奥に本館  その後ぐるりと散策。 樋口一葉も使った井戸。 菊坂は樋口一葉が住んだところ。ゆかりの質屋はいま跡見学園が買い取って公開しているそうです。この日はコロナのため休館。 このあと、 わだつみの声記念館 へ。戦没した学生の遺品が展示され、参考図書が充実しています。 わたしは一冊、文芸特集の冊子を購入しました。70年前の学生さんが、同じように同人誌を発行し自身の短歌や短編小説を発表していたことに想いを馳せました。 死ぬために大学に入ったわけではなかろうに。将来の日本を担うはずの頭脳が多く散っていきました。悔しい。 あっという間に時間がすぎてしまい、また会うお約束をして酷似さんとお別れ。 道の記憶があやふやで、連れ回して酷似さんを疲れさせてしまいました(;´Д`) 次回はちゃんと道を確認しておきます(いつも適当に歩いているので、人を目的地へ案内することができないのでした)。 酷似さん、あらためて楽しい一日をありがとうございました。 クッキーも美味しく戴いております。

その女・吉乃1

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2つの菩提寺 生駒吉乃(いこまきつの) という名前をご存知でしょうか? 数年前いや十年ほど前まで「信長最愛の女性」と喧伝されていた側室(もどき)です。 実際には吉乃という名前は創作でつけられた名前、ほかにるい(類)という呼び名が大河ドラマ『King of jipang 信長』では用いられました。拙作でもるい、にしております。 この吉乃の嘘(武功夜話の嘘)を暴いていくのが本稿の目的でございます。武功夜話全体がいかにデタラメな本か、というのは他の本で詳細に言い尽くされているので、しのきは「墓」と「寺領安堵」から斬っていきます。

麒麟がくる 第10回 「ひとりぼっちの若君」感想

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闇深竹千代とノッブの指す将棋。盤面が見えず、サイドからしか映らない。緊迫感ある画でツイッターでも大いに盛り上がっていました。が。全体でみたときに、 今回はそれぞれがそれぞれの役割を自覚し始める(それを示唆する)回(信長を除く)。 以下、あらすじと感想です。ネタバレします。

麒麟がくる 第2回「道三の罠」感想

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第二回「道三の罠」のあらすじと感想です。 大河ならではの贅沢な合戦シーン、そして無言のセリフの外のセリフの応酬は見応えたっぷりでありました。では以下あらすじと感想です。ネタバレします。

太刀なのか打刀なのかそれが問題だ

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『麒麟がくる』、オンデマンドで楽しく視聴しておりますが、どうにも気になることがあります。立膝問題じゃないよ。立膝でいいし、なんならもう胡座でいいのさ。 刀の話です。 わたしが気になるのは麒麟~で国衆の皆さんは太刀を下げて(佩(は)いて)いるのじゃないか、とみえるんです。刀身が長く一メートルはありそうな太刀を下げ緒で下げている、気がする。 でも、わたしは室町時代も後半、戦国時代になると長くて扱いづらい太刀は廃れ、上から下まで扱いやすい打刀(うちがたな)を使うようになると思っていたんです。 これは戦法が一騎打ちから足軽を中心とした集団戦になるからです。太刀が廃れるのと動揺に薙刀もすたれ(振り回すと隣が迷惑するから)、槍が馬上で使われるようになっていきます。 が、どうにも麒麟に出てくる美濃の国衆の姿が鎌倉時代の御家人みたいに見えるのはわたしだけでしょうか。 せいぜい国衆だと二本差しじゃなかったかなぁとチラリと思ったのでした。太刀は持っていたかもしれないけれど戦には持ってでなかった(家宝みたいな扱い)のでは?と思います。 信長は『信長公記』でみると戦いのときは圧倒的に槍を使っています。 いつも馬から降りて若い侍たちに混じって槍。 信秀の葬儀のときは太刀。しかし袴もつけていなかったというので、帯にぶっさしていたか手で持っていたかでしょう。 道三との会見のときも太刀を持っていってます。熨斗がついてるっていうんですが、太刀につける熨斗ってどんなものだったんでしょう。いくら調べてもわかりませんでした。 画像、ライセンスフリーの写真ですが変なので、今度博物館にいって撮影して入れ替えます。 トーハク休みなんですよね。コロナのせいで。。。

麒麟がくる 第9回 「信長の失敗」感想

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1回の次が9回になってしまいました。それほど面白かったんです。3回もみちゃった。 染谷将太さんがノッブを感情豊かに演じれば、それを受ける帰蝶役の川口春奈さんも全く引かない堂々たる演技。コミカルで怖いストーリー展開。歯切れのよいセリフ。 ここからストーリーと感想です。ネタばれします。

麒麟がくる 第1回

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おそまきながらオンデマンドで視聴しました。  オープニングは大河らしい、炎と馬と人のシルエット。  音楽も勇壮でいいですね。マンネリではない、これは 様式美 なのだ。  時は1547年(天文16年)、場所は美濃明智荘。刈られた稲が干されているから秋。  噂どおり着物が鮮やかでした。水色。黄色。ピンク(ピンクとしかいいようがない色)。たしかに「己が綺羅を飾った時代」なんだけど化学染料じゃなくて刺繍や染が急激に発達した時代である。  わたしのなかで大ヒットは吉田弾正久秀がお召の羽織。 柄が花火のようにも火花のようにも見える凝った美しい織地。  もはや爆発往生間違いない。  ストーリーはおそらく沢尻エリカさんの事件で放映が遅れた分、何話かをつないだような気がした。 一番気になったのは馬。 光秀二十歳(信長より7つ上説)が京へ腕の良い医師を求めて出立するときには騎乗している。 琵琶湖を船でわたり叡山の麓の関を抜けるときは徒歩。 東庵と駒を連れて美濃へ戻るときには馬三騎。しかも口取り付きだ。 鉄砲を購入してなおかつ馬も三頭買ったのかな。口取りは雇ったんだろうか。 そもそも最初の馬はどうしたんだろう。 たしかにNHKには気の毒な事故ではあったけれども、このくらいの矛盾はたったひとこと、「しもうた、馬を盗まれた」とか「馬はこちらでご用意いたしましょう」とかセリフを加えたら済んだことではないだろうか。 お話は導入で豪華な顔見世といったところ。 急な代役だったけれど川口さんの帰蝶さまは美しく凜としていてよき。利政(道三)も圧が強くていかにも油断も隙もない感じ。 光秀と将軍奉公衆三淵との出会い。松永弾正との出会い。吉田弾正がでると画面が引き締まる。 火事は唐突だったけれど、東庵を美濃にいかせるために必要だったのですね。大掛かりだなぁ。 いろいろ細かいところは気になりましたが、第2回も楽しみです(*^^*)。 この歳、信長は満13歳、帰蝶は満12歳。光秀満20歳(多分)

サイトオープンしました

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眠い! ただいま 2020/03/12 午前3時52分 。 しのきのサイト をオープンさせました。 SEO対策のため、自称ウェブ小説家になっちゃいましたが、またの名は野良小説家、ですかね。兼業野良小説家のほうがよかったかな。 働いていたり、エブリスタにいたり、セルバンテスにいたり、ノベプラにいたり、セルパブやったり(笑) さて。 セルパブに手を出して以来、作品を俯瞰していただけるサイトの必要性を強く感じていました。またメインの活動場としている『エブリスタ』は金銭授受の絡む投稿はできません。万一ガイドラインにひっかかってアカウントをバンされたらエクスポートしていない作品たちが全部なくなってしまう。 なので、サイトで宣伝したいし意見も聞きたい。楽しい話もしたい。とサイト作成すること1週間。どうにか形になりました。 ドメインも奮発しました(グーグルのサーチエンジンにひっかかるんですよ。サブドメインはだめなのさ)。 それなのに、このブログをうまく接続できません(;_;) まだ骨組みだけですが、おいおい短編なども読めるようなサイトにしていきたいと思っておりますし、会員になっていただいた方だけで楽しめるナニカもしたい(有料だと会員のみの部屋が作れるらしい)ので、どうぞ皆様遊びにきてください。

豊島修と14人の小説家展

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前回好評のうちに幕を閉じた「画家豊島修と14人の小説家展」 1日だけではもったいないと、今回神戸北野美術館併設のカフェで展示開催できることになりました。 期間は4月4日から12日 しのきの在廊予定は8日(水曜日)です。 たくさんの皆様とお会いできることを楽しみにしております。 「軛(くびき)」という作品を出しております。珍しい二人称です。 わたくし、職場から夜行バスでいきます。全然平気なことに気づいてしまった。 でも個室がすきなのでプレミアムシートとっちゃいましたよ。

2020年はセルパブ元年

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画像をclick!Amazonへ 投稿サイトエブリスタに 『修羅に舞う蝶』尾張統一篇 という作品を2016年に書いた。 織田信長の正室である帰蝶(濃姫)が当時あまりにも不当な仕打ちを各小説で受けていて、「どうして夫婦仲よく戦国を駆け抜けました」じゃいけないのさ、という反抗心で書いた文字通りの処女作。幸いたくさんの方に読んでいただけて、カクヨムにも載せて(『帰蝶と信長』にタイトル変更、現在はアカウントを削除しているので読めません)、こちらでもたくさんの方に読んでもらえた。 自分なりにたくさんの本を読み、調べて人物を造形した。ひどく愛着のある作品となった。 大好きな作品をもっと多くの、書き手ではない、いわゆる読み専さんや日頃は小説と縁のない人にも届けたい。 といっても30万字もある大長編で、しかも文字通りの処女作である。どこからも当然出版依頼はない。でも、手直し(推敲)すれば読めるのではないか、とも思ってしまう。 そんなわけで、わたしはこの『修羅に舞う蝶』をセルフパブリッシング(通称セルパブ)することに決めたのであった。